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家の物語

私の大好きな高田渡翁がこのような事を書いている。

「『歌というのは古い家だ』 これはピートシーガーが言った有名な言葉。
器さえしっかりしているのなら、その中のものはどんどん変えていくべきだと
いう意味である。」

“家”に対する意識もこの言葉に尽きると思う。
所詮、家は雨風をしのぐための一時避難所(生きている間)であって、先祖代
々どうのこうのってものじゃないと思う。勿論、子孫に引き継がれていけるの
であればそれに越したことは無い。人を選ぶことはあっても、拒絶は頂けない。
ましてや、自分の代で解体する(崩れるのを待つ)なんて勿体無さすぎる。
古物好きの私としては、使った人の色がついて、素敵な味を出していくのと同
様、家も様々な歴史を背負って風合いが出てくる。それにちょっぴり私の味付
けが出来れば幸せだなあと思う程度でいい。

私の住んでいる家は、先代のおばあちゃんが80過ぎであった。聞くと、50
年前にIターンしてきたようなものだったという。その前は隣りのひいじいち
ゃんが住んでいたという。またおくがのでは、数十年以上も前の事だが、集落
内で家を交換し合った(おそらく便宜上か?)という話も聞くし、馬喰、山師、
朝鮮人(どぶろく造り人)などが頻繁に出入りしていたと聞く。家への執着が
薄いのか、雑多なものを受け入れる土壌が養われてたのか、いずれにしても素
敵な話である。

最近ブームになっている田舎に建てる定住促進住宅。
折角ならば、今風のオシャレな家などでなく、何十年、いや百年単位で持続可
能な家を作っていかなければいけないと思う。
そして再び高田渡翁の言葉が響いてくる。

「何十年かあとに僕の曲が流れていて、曲名も僕の名前も誰も知らないのだけ
れど、その曲だけはみんなが知っているとしたら…。想像しただけでもわくわ
くする。(中略)歌というのは古い家だー」

私も家を手に入れた時、唄を作った。高田渡の言葉に触発されて。

 「ある家の物語」 (一部抜粋)

小高い 丘の上に 古い家があるだろう 
誰もが 見た事ある 古いわらぶきの家

その家は誰もが知ってる だけど誰が住んでいたのか
今や誰も知る人はいない ただ家はずっとそこにあるだけ

ここが僕は気に入り ずっと住むことにした
ちょっとばかりこの世の 僕の仮の宿

僕が死んでこの家に 誰が住むのだろうか
ちょっと だけ立ち止まった 明日の君かもしれない


お粗末様でした。
by ut9atbun61 | 2015-03-21 23:15 | 田舎
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