笹ヶ谷鉱山

昨日、小学校のウォークラリーで笹ヶ谷鉱山跡に出掛けた。
B級の歴史&廃墟マニアの私にとっては、格好の素材。
子供以上にウキウキで参加した。
が、残念ながら今回は坑道内部までは見ることが出来ないとか。

笹ヶ谷鉱山は鎌倉時代に開坑(足尾銅山より古い)してから戦後間もなく閉山。
銅を中心に産出されていたが(他に少量の銀・亜鉛)、江戸後期、銅の衰退により、
その副産物であるヒ素(殺鼠剤)の販売に力を入れ始めた。石見銀山にあやかり、
「石見銀山猫いらず」を売り出していたとか。全くヒ素と関係のない石見銀山からし
てみれば迷惑な話。
ところが、明治に入って再び銅の採掘が盛んになり、人口が増え、一時は2000人
の鉱山町があったそうだ。そして大正2年には、(まだ周辺地区は全く無かったが)
鉱山に電気が引かれた。
その後、銅は再び衰退して、昭和期にはヒ素が農薬や戦争兵器(陸軍毒ガス)など
に利用されたという。

鉱山の生き証人ともいう地元のじいちゃんが案内説明してくれた。
子供ながらのイタズラ話、労働者の面白いおっちゃんの話、当時の繁栄を写した写
真なども交え、面白おかしくためになるものだった。

その一方で、銅山につきものの鉱害が発生して、農地や人に被害を及ぼした。
明治17年に田んぼの被害が確認されて、昭和45年に県が鉱毒汚染を認定したと
いうから、さもありなん。近代国家の発展は人間の疎外で成り立ってきたのだから。
健康被害を受けたばあちゃんが近所にいる。
うちの隣の家の奥には未だ立坑(縦に掘られた坑道)が残っているそうだし、津和野
の至る所を掘り返す度に、ヒ素が出たという騒ぎが起こったりする。
うちの集落は上水が無く、井戸水だが、皆“かな(金属)っけがある水”という。

過去の繁栄と闇という複雑な思いが詰まった笹ヶ谷鉱山、次世代が知って伝えていく
ことで価値があるというもんだ。


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今日の主役は小学生。地域の歴史を知るために分かり易いクイズ形式で勉強する。
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このコンクリートの塊は、ヒ素を含んだ残土が流失しないように固めたもの。かなりの
広範囲に広がっているという。
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唯一今も当時の姿を残す7番坑入口。ここから透き通った水が出てくるが、まだヒ素
が混じってるのだろう。
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雨に降られることもなく、木部の元気な老若男女が参加して、皆満足顔。

次回は興味持つ有志を集めて、何とか坑道内に入りたい。
あと、2000人が住んでいた鉱山町跡を訪ねたい。
政治的感情を排して、往時の賑わいを想像しながら、しばしそこに浸っていたいが本音。

それにしても、子供の世話をする私を見た人達が、驚いていた。
「海君が、子供の面倒を見てる!すごーい!」
「やっぱりお父さんなんだね。」
全くもって凄くありません。私も人の子でして。
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by ut9atbun61 | 2014-06-23 23:04 | 田舎 | Comments(0)
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