3日目は生憎の雨。雨にけぶる富山の朝の町並みを背に、ひたすら鈍行列車で南下。IRいしかわ鉄道(三セク)から北陸本線へ、一乗谷や永平寺に向かう支線を恨めしく横目で追っかけながらも、我慢我慢の通過。
そうして開業前の新幹線駅を仰ぎ見る敦賀からは小浜線に乗り継ぐ。
この小浜線、運行本数・乗降客は少ない超ローカル線なのに、なんと電化路線(つまりディーゼルでなく電車が走る)!やはり原発集合地帯だからなのかな…。道の駅や公共施設がやたらと綺麗でお洒落で巨大化。原発補助金がっぽりなのだろうが、将来の施設維持費は大丈夫なのか? 路線としては、一見地味な扱いだがなかなかの風光明媚。のどかな田園風景を走ってると思ったら、山あいを縫うように走り抜け、時折若狭湾の海を拝める。 日本海特有の刺々しい岩々に濃紺色の海原。水上勉の故郷でもある若狭の海は、寂しい自然描写で車窓にもじんじんと伝わってくる。 昼過ぎに東舞鶴到着。お目当て引揚記念館はとバス時刻表を睨むが、一日3本??次は閉館間際の夕方便だとか。堪らずバス案内所に駆け込み相談。窓口氏は 「すみませんねえ。利用客が少ない路線なので本数が無いんですよ。タクシーだと20分程でいけますよ」だって。冗談じゃない、ウン千円払ってまで行くか? よし歩こう!と決意した私に、気の毒がった窓口氏は、「記念館の方向に行くバスはありますよ、但しそのバス停から4,5キロありますし、長いトンネルを歩くのでお勧めできませんねえ…」「いやいやそれで行きますよ!」 結局、バスから降りて、海風に乗った雨に叩かれて、トンネルの大音響に耳を塞ぎながらも歩いて、歩いて、遂に念願の引揚記念館へ。大正・昭和史マニアの私にとって、ここは聖地。 舞鶴は戦争終結後に中国大陸から引き揚げてくる人を受け入れた港であり、またシベリア抑留者の帰還場所でもあった。戦後引揚者はどのような思いでこの地を踏んだのか。誇り高きはずの関東軍も、敗戦と知るや否や開拓民をほっぽり出して、いの一番に逃げ出す。戦争は本性が現れる行為だ。結局この地を踏めずに、大陸の土となった者もどれだけいた事か、その怨念がきっとこの地に辿り着いているはず…。 思い起こせば私の母親も、台湾引揚者であり、幼い頃から苦難の帰国話は随分聞いている。戦争が曖昧な歴史に溶け込み始めた今こそ、伝えていけないといけない。おそらく私たちは戦争体験者から聞いた最後の世代ではないか。 色んな思いを持ちながら、往時を少しばかりでも忍ぶことが出来たと思う。昭和史マニアなどと高言する私がちと恥ずかしい。 予定通り西舞鶴駅に戻ると、113系の国鉄型電車が待ってくれていた。このご老体にひどく揺すぶられながら、福知山駅まで。もうそろそろ引退か、顔色も青ざめているし。この日は福知山泊まり。地元スーパーで地モノを買い込んで、宿で独り宴会。これがまた楽しいのだ笑。 そしていよいよ最終日。昨日からの雨は雪へと変わった。積雪はそこまでないが、横殴りの雪はひと際寒い。 早朝に和田山駅へと移動。そこで旧和田山機関庫に参拝する。明治45年製の赤煉瓦の建物。取り壊しも検討されてるが、立派な鉄道遺産だ(近くまで行けないのが残念)。 吹きさらしホームで30分耐え、播但路を走ってきた狙い通りのキハ40に乗って城崎温泉へ。山口線ではお馴染みだが、全国的には絶滅危惧種。 城崎温泉で冷え切った身体を温めるべく、ひとっ風呂浴びて、身も心も熱々。 後は駅弁をはなえて、山陰路をひたすら鈍行行。(40→126→120と乗り比べできた。やっぱり40に勝るものなしだ!) 本を読んだり、流れゆく景色に身を委ねたり、そのままうつらうつら、至福の時。 そうして、いつの間にか雪も止んだ益田に降り立ったのは20時近くだった。 私のささやかな安息日はこうして終わりましたとさ。 完 #
by ut9atbun61
| 2024-03-06 23:07
毎年恒例の鉄旅。3月議会を控えてのささやかな安息日々求めて、北陸・丹後へ。 今年のテーマは、「鉄道による地方創生」と「戦争の爪痕」を探す旅。富山市と京都舞鶴市探訪。富山はこの度の震災で、行きたかった“話せる古本屋”は被災して休業中との事…残念。
(金沢素通りは心苦しいが、この度僅かながらの募金で勘弁してもらおう) 往路は、新大阪まで仕方なく新幹線、そこから特急「サンダーバード」。 3.16ダイヤ改正で、北陸新幹線が敦賀延伸となり、金沢ー敦賀間の「サンダーバード」「しらさぎ」が廃止になるので乗り納めかな。 琵琶湖と新疋田ループ、白山連峰を程よいスピードで走り抜ける気持ち好さよ。ここも新幹線になったら見る景色も変わってくるのだろうか。 2日目は富山地方鉄道に一日中乗りっぱなし。この富山地方鉄道(通称地鉄)という会社は、富山市を中心に電車・バス・ホテル・建設業等を経営する地方企業。鉄道部門は厳しいながらもしっかり踏みとどまっている。応援しなくちゃ。そして地鉄の最大の魅力は、車両にあり。全国で活躍した引退車両を譲渡・買取でリユースしている。朝の岩峅寺行普通に乗ろうとしたら、何と元西武初代レッドアロー号!もう鼻血が出る位興奮した!その横を平然と女子高生たちがお喋りしながら、通り過ぎる。あの水戸岡デザインの車内に当たり前のように乗りこむ贅沢ぶり笑。 全国でも珍しいスイッチバックの上市駅では、西武・東急・京阪の老将達がそろい踏み。まるで三国志の黄忠・黄蓋・程普だ(何故か魏はいない…)! そうした車両や風景を楽しみながら、「読み鉄」をしながら、鉄道による地域振興を考えてみた。 新幹線やリニアが地域振興・環境負担軽減になる、なんてのは完全な妄想に過ぎない。リニアなんか莫大な電力(初動時の電力)を消費するのだから。 地域を活性化するには、その鉄道で働く人とその経営者の頭脳。最近、JRは合理化により、殆どの地方駅は無人化、一方で地域に根差した鉄道は、おじいちゃんやおばちゃんが駅で出迎えてくれる。おそらくほぼほぼボランティアに近い形で、地元を盛り上げていこうという気概があるのだろう。また経営者の斬新な発想で、全国から人を呼びよせるというアイデアを打つことができるかにかかっている。無理なく、継続できる形でのチャレンジ。山口線もJR西に任せるのでなく、強引に津和野主導で何かやって欲しいなと。私に特命係を任じてくれるのであれば、喜んで今の仕事を投げ打ってでもやりますぜ! では最後に本からの珠玉の言葉たちを。 「日本は風景のいたって小味な国で、この間を走ってると知らず識らずにも、この国土を愛したくなるのである。旅をある一地に到着するだけの事業にしてしまおうとするのはばかげた損である。(一部略)」柳田国男 → 点移動の高速鉄道や飛行機の事ではないのか? 「はるか昔の高度経済成長の幻想は、依然として消えていない。新幹線が次々に開業している一方で、地方路線の災害復旧は進んでいない。~たとえ人口が減り、少子高齢化が進んでも、JR各社が新幹線を重視する根底には、中国韓国など周辺諸国にスピードで負けたくないというナショナリズムがある。(一部改変)」原武史 「すべてが明るくなり、軽快になり、快調になり、スピードを増し、それで世の中が良くなるかといへば、さうしたものでもあるまい。(中略)いつかは人々も、ただ早かれ、ただ便利であれ、といふやうな迷夢から、覚める日が来るにちがひない。」三島由紀夫 いにしえの文学者を出してきて、だから何だと言われたら、何も反論できないが笑、もう少し旅する者自身、旅を見直すべきなんじゃないかな。 今回の旅でも、列車の中で6割ほどはスマホをいじり、2割は寝て、残り2割が話したり本を読んだりという姿だった。旅行中だけに関わらず、通勤・通学という時間の使い方も、勿体ないなあ、と昭和オヤジは思った訳です。 2日目の舞鶴へはまた次回で。 #
by ut9atbun61
| 2024-03-03 23:39
| 鉄道
北陸新幹線、敦賀延伸まであと1か月!
東京―敦賀間が約50分短縮! なんてテレビが騒いでいる。 早速1番列車に乗るべく、3日並んで切符を手に入れた男性が興奮気味にカメラに向かって語りかけている。へえー、そんな喜ばしい事なんだな…。と私は冷めた捉え方。全国新幹線網が徐々に完成しつつある。いずれは山陰新幹線かあ? 画一化された車両に、画一化された高架駅、そして画一化されたエキナカ街。高速化された鉄道で点移動、その先にある清潔感とプチ高級感が漂う駅空間に、私の居場所は無くなりつつある。 私は単なるノスタルジーで言うつもりはないが、皆さん在来線の良さを分かっていますか? 旅情をかきたてる車窓は季節に応じて千変万化、新幹線と違い途中下車したくなる気軽な地上駅、地元民や旅人との会話が弾む在来線の座席等々。 こんなこと語っても、所詮新幹線否定派は少数無頼派か。結局新幹線敷設で、平行在来線の第3セクター化、観光客は素通りし、慢性赤字となり、益々地方が錆びれていく…。人は何故、高い金を払って、短時間しか乗れない新幹線に乗るのだろうか?私は安価で長いとこ乗っていられる鈍行列車を選ぶのだが。新幹線なんか乗った日にゃあ、早すぎて目が回る。 通信はスマホ、モノはコンビニ、教育はデジタル、栄養はサプリ、そして旅はシンカンセン。 “ヨコモジミライカツール”で私の居場所は確実に減ってきている。 おそらく罵りながら露と共に消えていくのかな笑。
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by ut9atbun61
| 2024-02-16 22:29
| 鉄道
週末は、新旧交わる交差点に立ち止まり、農にあらず、濃な密な時間を過ごした。
20年前におくがのに農業研修に来た方(私の3年後輩にあたる)の息子が遊びに来た。彼は、5歳で木部保育園に入り、小中の途中までここで暮らした。それから実家に戻ったのだが、震災後、再びこちらに避難して、津和野高校・島根大学と、結局学生時代の殆どを島根で過ごす事になった。 そうして社会人になり、今や大手ゼネコン社員。泣き虫お人好しヤワだった少年が、精悍な佇まいでおくがのの百獣の王と談笑する姿は、涙を誘うちょっと感動劇。時代が巻き戻って歴史の針が進んだ、複雑な空間に酔うことが出来た。 ヒトは、良くも悪くも生活する環境に影響を受ける、そういう意味で、津和野の山奥の小さな存在価値を改めて見直した。あくまで“小さく”に過ぎないけど。 そして彼が一宿一飯の恩義で、うちの刃物研ぎに没頭しているときに、地元高校生がやって来た。大学進学の報告と、私と本の話がしたいと。いまどきに無い奇特奇異奇天烈(褒め言葉です)な学徒だ。 彼も手を休め、一緒に話をする。彼女がまず切り出してきたのは、私の議会報告を取り出して、学校教育でのタブレット使用についての警戒感だった。いやはや驚いた。ややもすれば、デジタルに全て飲み込まれがちな10代が、周回遅れのデジタル否定オヤジ論者に共感してくれるとは!ここでも涙が誘われそうに(苦笑)。 この現場からの疑義は大変重みがある。議会質疑であっさりと片付けられたデジタル問題、ここは反転攻勢のチャンスだとばかり、鼻息荒くなり、「それに気付いた貴女はきっと大物になるよ、将来の町長だね!」なんて軽々しく褒めてみたが、それはさほど嬉しくないらしい(そりゃそうだな)。 その共感の渦をきっかけに、文学談義、哲学入口の話、本好きあるある、それからオススメ本の紹介と話が盛り上がった。最近オヤジ化してきた私は、いまどきの若いもんとは、どだい話が合わねえよ、そう吐き捨てる事度々だったが、前言撤回。高校生に津和野の将来を観た、と大袈裟に思えた。ゼネコン彼もしきりに頷いている。「アナログの世界の中心はここだ!」なんて叫びたくなる衝動を抑えながら、このたった1人の宝石の輝きを増すためにどうしていこうかな…。 早速、舌の根も乾かぬその晩、うちの愚息を呼びつけて、最近本を読んでない事をなじり、滔々と読書の大切さを語り、麗しき女生徒の美談をしたのだが。デジタル疲れのトロンとした眼に何が映っているのか、ぼやけた返事を残したまま自室に戻って行った。嗚呼、時代は変わったのか、教育とは何なんだろうか。 2日間の悲喜こもごも、何の影響力も及ぼさない、それだからこそ大変面白かったんですね。
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by ut9atbun61
| 2024-02-06 00:31
前略 私は貴殿を存じ上げませんが、かつて革命思想的な夢を見た同志の一人としてお手紙差し上げます。 まずもって、お亡くなりになったこと、お悔み申し上げます。 ただ残念な事に、貴殿は最後まで真実を語りませんでしたね。更には病いに倒れ、自ら死を悟った時、「最期は本名で迎えたい」と語ったそうですが、私はそれに強烈な違和感を覚えました。 失礼ながら、今更何?と思いました。40年以上も逃げ回って、最後になって弱音を吐く、革命家として如何なものかと。 あなた方が起こした事件の重みと影響度合いを今嚙みしめると、きっちりとけじめをつけて欲しかったです。けじめとは何か? それは自分の信念を貫き通すために、堂々と表に出てきて正当性を語るか、誤りであったのであれば、自首して罪を償うなり、自らを処断するかだと思います(それが良し悪しとは別)。それは歴史が証明しているではありませんか。 貴殿のグループ、東アジア反日武装戦線が連続企業爆破を起こした当時、新右翼として活動された野村秋介氏・鈴木邦男氏はその思想と行動に喝采と嫉妬を覚えたと言われています。彼らだけでなく、世間からも一定の同情的共感があったのも事実です。ただし、多くの一般人を巻き込んだという罪は、今も昔も決して許されることはないと私は思います。連赤問題を含め、この前後から左翼運動の凋落が始まりました。検証をされないまま、今日を迎える事となっていますよ。 また獄中死された大道寺将司さんに対しても、失礼なのではないかと思います。彼は罪に対して訥弁ではあったものの、秘めたる思いは伝わってきます。実際に、仲間が起こしたハイジャックの超法規的措置で釈放・出国の機会が与えられましたが、それを拒否した事もありました。人間は弱い生き物です。だからこそ道を誤る、しかしそのツケはついて回るのです。いつかは清算しないといけないはず。しかし貴殿はそうされなかった。その覚悟さえお持ちであれば、私もどんなに非難を受けようが、獄中の貴殿を支援することができたのですが。 ただ最後に私が思ったことは、今まで書いてきた事も全ては推測の域を出ないという事。実際、桐島氏がどのように考え、どのように解決したかったのか、全く分からないという事。それだけに、少しでも思いを語って欲しかった…。 雑文をお許しください。もう二度とこのような悲惨な事件が起きませんように。 併せて、二度とこのような事件を起こさせるような社会でありませんように、合掌。 #
by ut9atbun61
| 2024-01-31 22:50
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