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農村青年社事件

堅っ苦しいネタなので、ご了承下さい。

 「農村青年社事件-昭和アナキストの見た幻」という本を見かけ、赴くまま買った。
昭和初期に農村青年社というアナーキスト集団が治安を乱したとのかどで刑罰を受けた
事件。検事のでっち上げとしては昭和の大逆事件とも言われるそうだ。
時代背景と権力と個人の思惑が交差して、ややこしい。読むのにかなりエネルギーを消
費した。が深く考えさせられた。

戦時中の農村は貧困・飢饉・差別とひどい状況だった。その状況を打破しようと、右派は
農本主義、左派は共産主義と単純に走ってしまうのだが、農村青年社はそのどちらもく
みせず、アナキズムに傾倒する。しかし面白いのが、単なる破壊(個人主義)に走るので
なく、主旨を、自給自足の実行共産の実行共存共栄・相互扶助の実行という所に持ってくる。いたって地に足のついた者の発想。今の私の目指すところでもある。

「なに故農民は自己の意志によって生活を為さないのか。村をつくる者は百姓だ。その百
姓が納得できる生活が村で行えない法がどこに有るのだ。…『おらたちがおら達でおら達
が村をつくる』こと、」

「政治的に闘うよりも農民がすぐに出来る自給自足の経済行動に徹し、共同社会を守るが
そこに暴力による弾圧を加えてくるならこっちも闘おうという考え」
 
 しかし彼らの意思は時代に認められるどころか、特高と検事達の巧みな策略によって危
険な犯罪計画に仕立て上げられ、逮捕・実刑。完全に人生を狂わされる。
その経緯は読み物として興味深かったのだが、私の思うところは別にあった。

「資本主義の高度化が進む中で、アナキズムは政治思想としての有効性でなく、個人的
信条としての思想、つまり自立する個の支えになる理論が含まれている」
その述べる著者に賛同しながら、
結局、戦後の左翼運動が行き詰ったのは、アナキズムのこの視点を排除していたからな
のかなと思ってしまう(偉そうなことを言ってしまうが)。
政治思想を基盤として、理想の社会・個人を作り上げていく作業。それで時代が合致して
盛り上がったのが6・70年代。上手くいってる時はやりがいがあり、連帯も進む。
しかし何かボタンの掛け違いや、世間のちょっとした雰囲気の変化で風向きが変わる。
そうなると、非難、転向、人間不信と足元がガラガラと崩れ落ちる。
左翼の内ゲバなんかそれの最たるもの。
(実は私が学生時代(90年後半)にも近くで内ゲバ殺人があって、うちの大学にも警察が
捜査に入ってきてびっくり)

本書に戻ると、後半のエピソードが長く未だに心に引きずっている。
 青年社メンバーの一人八木女史が下獄後、満州に渡り、そこで親しくなった婦人運動家
の永島女史と話す。戦後、ソ連国を信じる永島は満州に残り、八木は信用ならないと帰国
する。結局永島はソ連兵に残虐行為を受け、絶望して自殺したそうだ。
「歴史が変わっていく時に、人間の本当の姿があらわれます」という八木の言葉が恐ろしく
響く。ここにもある意味、連合赤軍事件に通じるものがある。

 そう言えばそんな思想と人間をずっと取り上げてきた若松孝二監督が先日亡くなった。
また近いうちにその思いを述べたい。
by ut9atbun61 | 2012-11-09 23:55 |
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