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音楽と言葉

 またまた堅っ苦しい話になってしまう。

 遺伝子おじさんと出会った夜、TVで辺見庸氏が死刑囚と向き合う番組をやっていた。
相手は、37年間獄中の大道寺将司。東アジア反日武装戦線(通称狼グループ)のリー
ダー。私が生まれる一年前に連続企業爆破事件を起こし、多数の一般人を殺傷、死刑を
宣告されている。現在彼は、ガンで苦しみながら、作句をしているという。その句は一貫し
て、自分の罪を悔い、問う内容。見てて痛いほど伝わってくる。3・11震災時も自分の罪に
重ね併せて内に向かっていく(お偉いさん達が散々責任逃れをしている中で!)。その彼
の“言葉”に辺見氏は強く魅かれた。全身全霊をかけて言葉を紡いでいる。勿論、贖罪に
はならないが(但し、テロリズムは限りなく優しい心に宿る思想である)、第3者の私の胸を
打った。
 一方で辺見氏が警鐘を鳴らし続けているのが、震災以降の言葉の軽さ。「絆」とか「頑張
ろう」などといった耳触りのいい言葉達。そういった格好好い言葉というのは、時に大切で
あろうが、多くはそれを並べ吐いただけで満足しがち。そのまま思考停止に陥ってしまう。
それでいて、「正義」や「愛」などという難しい事を大上段から語りたがる。そこには議論が
入り込む余地は無い。それこそが一番無責任ではないか。昨今の原発問題にしてもそう。
 私もかつては、過激な人達とデモなんかした時、拡声器で騒ぎ、公安に睨まれ、それで
終わったら総括なんて言って、仲間内で大成功と喜んで終わり。全く言葉に重みと言うか
覚悟が伴っていないから、誰からも相手にされない。
 深い言葉を持つ罪人と言葉なき声を乱発する無辜の人々。果たしてどちらが…。

 再び遺伝子おじさん。彼から学んだ事は、音(楽)の目に見えないパワーの凄さ?音は
言葉と違って耳に飛び込んできたものが直接意識に左右される。使い方によっては善悪
どちらにも転ぶという不気味な存在である。ただそこまで音に人間が頼っていいものか、
もっと言えば音に洗脳されてはいけないのでは、と思ってしまう。音には好みもあれば、
自分が聴いてきた歴史も伴うので、確固たる自分の“音”を持っていればいいのでは。い
わば音は宗教の様なもので、頼ろうとすれば向こうからすり寄ってきてしまう。

 そんな音と言葉が結びつく時、つまり。影響力は絶大になる。
人の心をいともた易く動かし、集団の扇動も可能になってくる。
 だから言葉の見極め、自分の芯(音)を持つ事が大事だと思う。
以前も書いたが、“触って来ない唄(音楽)”が私の理想。


 そんな事言いながら、週末22日にエコビ6周年で唄を唄います。おくがのリズムセクシ
ョン
に癖のある仲間が集まってくれました。
言葉は重み無し、音も芯無しのいい加減ミュージックですが、決して偉そうな事だけは言
わない、素朴な日常を唄います。そりゃ何て言ったって師匠は高田渡ですから。
by ut9atbun61 | 2012-04-17 23:20
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