人間万事塞翁が馬
今回の関東東北大地震、時が経つにつれ被害があらわになり、さらに原発問題と
して広がりつつある。現地では避難、捜索、復興など心痛計り知れぬ。今の私は、 テレビを通じて状況を知るに過ぎない。 先週、実は東北を旅していた。しかも大地震の2日前のこと。 つまり3月9日の計画では、釜石、宮古の三陸海岸を通って(釜石線)、久慈(北リア ス線)・八戸(八戸線)へ行く予定であった。この路線は、海と山が織りなす風光明媚 な地を走るのがうりで、途上には遠野物語の遠野駅や井上ひさし氏ゆかりの吉里吉 里駅やひょっこりひょうたん島のモデルとなった島々もある。 その日の朝は、新花巻を11時12分に出る普通列車に乗り込んだ。山間の過疎の 集落を横目で見ながら、同じボックス席に乗り合わせたおばあちゃんと四方山話。 途中駅でおばあちゃんは降り、相棒をお菓子で黙らせて、独り車窓を愉しんでいたそ の時であった。列車が急ブレーキをかけ、立ち往生。放送によると、三陸沖でM7の地 震との事。私はびっくりしたが、周りの乗客はまたか、といった雰囲気(のように思われ た)。結局その場で小一時間待たされて、5つ先の遠野駅で運行中止。 「三陸方面の列車は運転の目途が立たない」と、半ば駅員に促されるように行き先 変更。JRが用意したタクシーで、渋々花巻へ逆戻り。内陸を通って八戸で一泊した。 JRの代行バス、釜石方面行。この中には被災された方もいただろう…。 あそこで、私が意地になって運転再開を待って釜石へ向かっていたら…。 また、10日はあけぼのというブルートレインで東京へ戻る予定であったが、 電源車(車内に電気を供給する車輌)の故障で秋田止まり。 段取りの悪いJRに文句を言いながら、夜12時すぎて、用意したホテルに泊まる。 そして地震の朝は、又もやJRが用意した秋田新幹線(こまち)を断り、わがまま言って 景色のよい羽越・上越(日本海回り)で東京に向かった。 その途上、あと少しで上野というところで、あの大地震。上越新幹線の中に約10時間閉 じ込められた。その時は3度目の足止めということもあり、状況も知らずに「しまった! 盛岡経由で秋田新幹線で帰ればよかった」と地団駄を踏んで悔しがったが、後で思う に盛岡経由では、まさに地震直撃の可能性があったに違いない。 こうして見ると、私達の旅のルート一つ違えば何が起こったか分からない。今思えば ぞっとする。ひょっとしたら自分がたまたま辿ったルートが最善の方法だったかもしれ ない。奇跡だったのかも!そうも思える。 とにかく、まずは自分が助かった事に感謝したい。 そして被災された人々に対しては、私自身何かしらの事をしなければならない。言っ てしまえば義務の様な気がする。 というのも、今回の旅の目的の一つは、三陸沿岸をゆっくり見る事。あの美しい海と入 り組んだ崖の様な岩をゆっくり眺めて心を洗いたいという思いがあった。その風景を、地 震が全て壊してしまった。くさい表現だと、あの三陸の美しい海が哀しみの海に変わって しまった。また、犠牲となったのは、風景以上にそこに住む人達。私達が旅先で出会い、 話した人達もおそらく辛い思いをしているだろう。 普段、物事全般に冷めている私でさえ、毎日の報道を見ていると落ち着かない。居ても 立ってもいられないとはこの事だろう。出来る事をやろうと思う。 それにしても、人間万事塞翁が馬。昔の人はよく言ったもんだ。 少し気持が落ち着いたら、今回の旅の紀行を記したいと思う。
by ut9atbun61
| 2011-03-17 23:49
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