戦争の暗部を考える

毎年8月15日を迎え、戦争特集をテレビで観る。
私らは歴史教育を散々叩き込まれた世代。結構リアルな感情を持つ。
しかし日本が昔戦争をしたという事実を知らない世代が増えてきている。
子ども達にも話しかけてはみるが、まだ遠いお伽話の世界だ。
うちの母親は満州で生まれ育ったため、色々体験談を聞かされてきた。
戦争で日本が中国の中に創り上げた国家“満州”。五族共和という理想と傀儡
政権。マンテツにイシハラやらアマカスの数々の陰謀。暗い歴史ながらも何
か惹きつけられるものがあった。
私はいつの間にか“満州”という不思議な「国家」に興味を示して、色んな本
を読んできた。

ところが、先日観た『告白ー満蒙開拓団の女たち』に衝撃を受けた。
満州に移り住んだ岐阜の黒川集落の人々(当時は全国中集落ごとに開拓団と
して満州に移住していたようだ)の想像を絶する苦難の告白。
1945年8月9日にソ連が条約を破って満州に侵攻。日本は程なく敗戦を迎え、
それまで虐げられてきた地元中国人が頻繁に襲撃してくるようになった。
当時その地域を守備してた関東軍は真っ先に撤退して、残されたのは一般民。
そこで多くの開拓村は集団自決を選んだのだが、黒川開拓団は生き延びて日
本へ帰る希望を持った。まず中国人から守ってもらうため、ソ連軍に助けを
求め、事なきを得た。ところが、今度はソ連軍が見返りを要求。開拓団のメ
ンバーは辛い決断をする。17歳以上の未婚女性を“接待”させる事にしたのだ。
女性たちの中には真相も知らずに接待所に連れていかれて、毎晩幾人ものソ
連兵を“接待”したという。病気にかかり亡くなった者もいたが、そのお陰で
無事に日本に引き揚げることができたそうだ。
ところが、それからも苦難は待っていた。黒川開拓団の人々は皆、口を閉ざ
していたが、日本でその噂は広まっており、故郷に帰ってから差別を受けた。
結婚や実家で生活することすらままならなくなって、山奥でひっそり暮らす
人も出てきた。
そうして、最近その女性たちが、ようやく重い口を開き始めた。
「理屈ではない、生きて帰るためだった。」
「あれは難関の一瞬のことだった。今が幸せに生きているからよし。」
気丈に振る舞う年老いた女性たちに、決して恥ずかしさや哀れみ、恨みを感
じない。ただただ、戦争の悲惨さを後世に伝えていきたいという信念のみ。
彼女を前にしたら、満州国の理想なんて吹っ飛んでしまう。私の中の薄っぺ
らい興味も全て吹き飛んでしまった…。

外交問題としての従軍慰安婦問題に私はとやかく言うつもりはないが、一人
の女性に対して、「強制でなく、金稼ぎで自ら進んで慰安婦になった」なん
て第三者が平然と語る資格があるのだろうか?と強い疑問を持ってしまう。

戦争というのはただ生き残った、死んだ、というシンプルな思考では片付け
られない。強者は逃げて、弱者が苦しむという最悪の構図が待っているだけ。
「戦争なんてもう起きない」だとか「時代は変わったから大丈夫」なんて言
って忘却の彼方に葬り去るのではなく、常に身近なところに戦争の芽はある
と思わなければいけないと思う。

始めにも書いたように、私達世代は半ば押付反戦論だったような気がする。
それがいいか悪いかは人によるだろうが、その反動が今の右傾化現象なのか
もしれない。
これから子供達には、しっかり自分たちの頭で考えてもらえるような材料を
提供していきたい。
[PR]
# by ut9atbun61 | 2017-08-15 23:18 | Comments(0)

啞蟬坊先生

東京から島根に移って、唯一残念に思う事。
ブラウン管に映るような有名人はたまにやってくるんだけど、こんなマニアック
なイベントは決して此処では行われない。

東京でやるんだってさ! 鎌田さんが啞蟬坊を語って、大工さんが啞蟬坊を唄う。
そしておそらく、呑んだくれた渡さんが、これを何処かで聴いているに違いない。

行きたい 行きたい! 行きたいってば‼
この頃は、おくがの稲刈真っ最中。私が忽然と姿を消したら?…と、つい末恐ろ
しい想像をしてしまった。

f0237818_22242746.jpg


どうやら出版記念イベントらしい。
『軟骨的抵抗者 演歌の祖・添田啞蟬坊を語る』
うん、言い得て妙だ。勿論購入するつもり。 
[PR]
# by ut9atbun61 | 2017-08-13 22:35 | Comments(0)

農業と暮らしのはざまで

久々の投稿と思って30分かけて大作を綴った(本当に)。
うっかり別のページに飛んでしまい、一瞬にして労作がパー!
もうやる気を無くした。でも勿体ないので概要だけ。

最近農業に熱を入れ過ぎて、日常生活や自給的暮らしというのを置いてけぼりに
してきた。しかし今日、自宅でたまたまコンクリを打つことがあり、その余った
時間で石垣作りをした(というか、師匠がやろうというから)。
はじめは渋々だったが、やっていくうちに自分が全然理解出来てなかった事と
(やった事はあったが)、やった後の芸術的な美に惚れてしまった。
業者に頼んでブロックでやれば、時間を十分に農業に充てられたが、心の定まる
ところがなかったかも。
これからも体の何処かには、自給精神を残しておかないといけないなと感じた。

と能書きを語ったところで、再び明日からひたすら“只管打坐”農業だ!
[PR]
# by ut9atbun61 | 2017-08-02 23:31 | 農業(有機) | Comments(0)

おらが赤い村

東京つわの会の『津和野』という同人誌コピーがおくがの事務所にあった。
何だろうと興味津々で開くと、桑原史成さん(写真家)の文章だ。
「消えた“赤い村”」。ひょっとして、と読み進んでいったら、やっぱり。
ご当地木部村の共産党の歴史についてだった。

もう最近は忘れられた過去となりつつあるらしいが、戦後まもなく木部村に
共産党の村長が誕生した。当時としては共産党首長というのは珍しかっただ
ろう上に、無投票当選ときたもんだ。その人は、木村荘重といって木部で育
ち、戦時中は反戦水兵で鳴らし、治安維持法で逮捕された事もある猛者。
党の重鎮、徳球や宮顕とも交流があったといえば相当な人なのだろう。
木村氏が当選してから早速、辣腕を振るう。
国に供出すべきコメを拒否して、独自販売を企てた「反米斗争」。そして、
ソ連を模した集団農業化。農民組合を組織して、協業で報酬分配という、ま
さに社会主義的政策。当時は小作人から高い支持を得たようだ。
しかし、朝鮮戦争が勃発した1950年に、木村村長は突然逮捕される。反戦ビ
ラを撒いたというかどで(占領政策違反)。1年の拘留で当然村長は辞職、そ
の後再び帰村して、今度は無所属で町議にとある。そこで木村氏の政治家と
しての記述は終わっており、後は妻と共に小田原に転居した事が添えられて
いた。
この文章を通して、気になったところが2点ある。
1つは木村村長の片腕だった平原氏を著者がインタビューしたそうだが、
「赤裸々に事実を語る彼の会話には当時の木村村長の苦闘ぶりや農民の苦境が
しのばれる」という詳しい内容が知りたい。私が木部に来た当初、今は亡き古
老達から、お茶飲み話で木部共産党話が出てきたのだが、揃って好意的ではな
かった。或る人は、「話したくない過去」と言って片付けてしまったし。一体
何があったのかが気になる。正義を貫くと必ず落とし穴があるように…。
もう1つは無所属で町議選に出たこと。党本部から除名されたようだ、と記し
てあったが、これまた何故だろうか?除名は共産党のお家芸とはいえ(徳球さ
んも参三さんも然り)、そこのところにこの木部の赤い村の歴史を紐解くカギ
がありそうな気がする。
そうしたら居ても立っても居られなくなってしまった。今度桑原史成さんに会
う機会があったら、この話を詳しく聞いて、もっと掘り下げてみたい。前町長
も木村村長の下で働いていたらしいから実話を聞いてみたい。
木部の近代史をまとめたいね!
[PR]
# by ut9atbun61 | 2017-07-13 22:31 | 田舎 | Comments(0)

鶏殺めて人助く の巻

「鶏をさばいて欲しい」という依頼がきた。
10羽と言うので、手が足りない。原始的な男たち3人に声を掛け、手伝って貰う。
彼らへのお礼3羽含め、合計13羽。血抜き、毛抜き、解体と、朝から格闘した。
返り血を浴びた者、手許が狂い手負う者、昼過ぎまでかかって、もうくたくた。

休憩もそこそこに、さて、では鶏肉を届けようと、卵配達がてらに柿木へ。
その途中だった。細い山道を走ってると、道路わきに案山子がひっくり返ってい
る。何でまたこんなところに珍しいものが…と思いつつ、通り過ぎたのだが、‼。
ひょっとして人間??そうに違いない(こんなとこ案山子がいる訳ない)!
だったら間違いなく死んでる?微動だにしてなかったから…。
ハッと我に返って、慌てた。どうしよう、どうしよう。携帯はつながらないし、
戻ってもどうしようもない。そのままスピードを上げて付近の民家を探した。
どこも空家&留守で居ない…。ようやく人の姿を見つけ、大声で呼び、説明。
先方も慌てて119通報して、私と現場に行く事にした。
しかしその時、一抹の不安が頭をよぎった。もし疲れてて幻を見てたんだった
らどうしよう?大ブーイングだな。だから頼むから倒れてて欲しい、なんて訳
の分からぬ願望を抱いたままに向かう。
途中、木部のママ友に出会って、彼女も人が倒れてるのを見つけパニックにな
っていた。取りあえず彼女もつろうて向かった。
すると、現場では、何とおじいちゃんが座り込んで煙草に火をつけているところ
だった!あれ?まるで狐につままれたよう。「大丈夫なんですか!」
と駆け寄ると、「おお、わしゃ大丈夫だ」と言いながらも顔が傷だらけで、出血
もしてる。聞くと、竹を切ってて3m上から真っ逆さまに落ちたそうだ。
救急車と聞いた途端、「わしゃ乗らん」と言い出したが、何とかなだめて待った。
救急車も迷いながら到着し、無事におじいちゃんを受け渡して、一安心。
そしたら、どっと疲れが出て、遅れ遅れで用事を済ませ、帰路についた。

鶏の命を頂き、人の命を見守る…ふざけた人間が今日は妙に信心深くなったとさ。
[PR]
# by ut9atbun61 | 2017-06-28 21:52 | 田舎 | Comments(1)